アトピー完全克服マニュアル~終着駅~

真実の克服理論を公開し、現医療の裏側を暴く

僕がまだ生きているとは思っていないだろう、あの時の医者と看護師は。

僕がまだ生きているとは思っていないだろう、あの時の医者と看護師は。

サイト・ブログ・NSNなどのプロフィールを見て、『原因不明の病で、余命1週間・・・とありますが、どうやって回復したのですか?』という質問をよく受ける。

その当時の事を思い出しながら少し書いてみよう。

新日鉄を辞め(野球をやめたので)、東京に出てきて3年目の年、サラリーマンをしていた時期、帰路についた中央線立川を過ぎたあたりで突然倒れて福生病院に担ぎ込まれた。

 

 

 

高熱が続き、4種類の抗生剤投与も効かず、約3ヶ月間熱が続いた。原因不明で隔離された。ベッドから起きることも出来ず、毎日5回は寝巻きを替えていた。筋肉は衰え、太ももは当初の3分の1となり、『骨皮筋衛門』の名前がピッタリの体型となった。

70Kgの体重が3ヶ月で39Kgとなった。

 

ちょっと大袈裟だが、こんな感じ

 

全身の毛が真っ白となり、睾丸は3倍くらいに膨れ、ペニスも勃起直前の大きさ(元々小さい)となった。人間の性とでも言うのか死ぬ前の死相体型なのだろう。目は飛び出て全身シワだらけ、血尿・白便で、支えが無ければ歩けない、階段1段上がるのに20分は掛かった。見た目70~80歳くらいには見えただろう。誰もが33歳とは思わなかった。

振り返ると、入院前は偏頭痛が続き、鎮痛剤を愛用していた。摂取すると直ぐに快適、爽快となり病み付きになって、毎日数錠飲んでいた。やがて、味が薄れて、何でかなぁ?と思っていた時期でもあった。

あまりにも熱が下がらない、体型の変貌などで『iCU』入りとなり、24時間体勢で見守られた。その時には、五感が殆ど崩れていた目はセピア色、臭いはしない、味はしない、耳は耳鳴り、皮膚感覚も痛み感覚も少なくなってきていた。自身でも、もう厳しいかな?と思った時期であった。理由は、このICUから生きて返った方はいなかったからだ。死刑執行室に行く感じがしたのを覚えているし、その事を思うと鳥肌が立つ。

当時は、夢か現実か判断がつかない怖い夢・昔の夢なども多く見ていた。テレポーテーション(瞬間移動)などもあの当時出来ていたようだ。0メートル先のナースステーションからは、『赤嶺さんも今週あたりだね』という看護師の声も聞いた。

形相から、その様にとられることはあるだろう。

しかし、家族のこと、まだやり残したこと、もう一度野球をしたいことなど多くのことが頭をよぎり、『まだ死にたくない、あと5年あればいろいろと出来る、神様、あと5年生かしてください』と強くお願いしたことも思い出す。もう既に30年が経過した。

ICUでも薬は抗生剤・栄養剤を主に山ほど摂取していた。3日経過した時、看護師をしていた友人が面会に来て、『赤嶺さん、もう長くは無い感じだから、いっそのこと薬やめて、出た食事全部食べてごらん、そして、ダメだったら仕方ないじゃない。これもダメもとで飲んでみて』と、乳酸菌のサプリもを置いていった。

何ともアッケラカンとした友人だが、このお陰か、1週間しても死なないし、徐々に感覚も戻ってきたようで、耳鳴りが止んだ、皮膚も弱い力だがつねると少し痛い、景色もハッキリしてきて色がついた。

味はまだしなかったが、来る食事は好き嫌いなしに口に入れた。そして、味噌汁はお代わりをしたことも覚えているが、嫌な顔もされた。クスリもあの日から見つからないように飲まずに隠した。

そして、ICUから生還した。入院して4ヶ月の時だった。

 

体重も徐々に増えだし、41Kgになったあたりから、平熱に戻り五感の全てが元通りになったような気がする。病院のご飯が美味しく感じ始めた。

この時期から歩く練習を集中した。

 

少しづつ筋肉もついて、支えなしに歩けるようになった。が、まだまだ無理をすると動機息切れが止まらない。看護師の友人が偶に寄ってくれて、体の事をいろいろと教えてくれた。医学本も持ってきてくれて、時間もあるので体のこをを勉強し続けた事が今に繋がっている。この友人がいなければ今の自分はない。

そして、入院期間は約2年。

 

長い時間の集中した体の勉強は、各臓器の働きやつながりや目に見えない物質・生物などが人間が生きる条件となっている事を知ることになった。この時、腸内細菌の事を深く知ることが出来、自身の体を試験台に多くの事を学ぶ事ができた。

当時の自身の肺画像は真っ白に移り、肺炎なので直ぐに病院へというくらいの状況で、咳が止まらず、空咳と痰が多く出て、話も出来ず大変だったことも思い出す。時々吐血もしていた。

その後、退院して基礎知識を買っていただき民間の研究所へ入ることが出来、さらに勉強をして独立したが、体が弱いこともあり、思い通りには行かなかったが、多くの助けを得てこれまで続ける事ができた。友人の看護師、独立後に関わった大奥の皆様へは感謝しても仕切れない。

そして、退院して30年が経過した。今はおまけの人生と思っている。

まだ生きている。

 

健康か?いや判らない。その後検診は一度もしていないが、自己の感覚では、健康だと思う。血圧や血糖値など血液検査もしたことが無い。ただ、歯医者だけは耐え難く何度かお世話になった。

見た目も大分老けたが、同年齢の平均の方と比べれば、、、少し若いといわれる。ま、健康です。


健康の秘訣  朝の味噌汁は欠かさない、1週間に2回は朝歩く、1日8000歩は歩く、月に2~4回は野球をする(3月~10月)、毎日3gの『自己の乳酸菌(オーダー乳酸菌)』を摂取している。

人間は食べて生きている。

 

その食べ物が血となり肉と成る。その工場を作らなければ正常に必要成分が生産できない。その工場とは腸管であり、工場人は腸内細菌である。いくら良い食材を摂取しても解決にはならない、、いや、素材を考えることも重要だが受け側の工場をしっかり整備する事が一番重要であると思っている。

アトピーアカウントでも腸内細菌の内容がよく出ているが、考えてみるとアトピー性皮膚炎に腸内細菌と謳い(新聞・冊子・サイト・研究書等)活動をしているのは、実は自分が元祖なのだ

 

大手が血液型別乳酸菌やオーダー乳酸菌の製造特許が取れないのは、小生の書籍などを確認したからだと、同僚研究者から聞いた。1995年に農芸化学学会でも同僚が『特殊乳酸菌が抗アレルギー効果』と題して発表している。

2000年までは手弁当で全国を飛び歩いて、アトピー性皮膚炎講座を月30回は開いていたが、それ以降はインターネット時代に先立って挑戦した。あの時代の検索エンジン『goo検索』アトピーと検索すると、1位から20位までアトポスのサイトが紹介されていた。そして、1日20000pvと5000人が閲覧していた。

今では、多くのサイトが立ち上がり、厚生労働省の薬機規制によって、アトポスと検索しても、本サイトは反映されず、当初の50分の1くらいの閲覧で推移している。

アトピー関連検索で先頭ページに乱立する、薬物療法ありきの標準治療をする病院や学会・団体が優先順位となっているようで、もうステロイド剤では解決出来ないと判った方々は、選択肢をなくした環境となっている。SNSやブログを経由して、目的サイトヘ辿り着くことになる。

googleも多くのお金を積まれたのだろう、民間関連の自然療法は絶対の先頭へ入れないし、アドレス固定してはじいて反映されないようにしているようだ。このお金も『製薬マネー』が使われていることは、火を見るより明らかである。そして、多くの被害者を作り続けることになるが、これで日本は大丈夫なのか。


世知辛い世の中になったなぁ。


そして、今日も小生は、コツコツと会員の報告に返答と新規相談に励んでいる。

終りのない旅だ。

あ、、死ねば終わるか。この厳しいこのシステムを引き継ぐ物好きはいない。費用対効果からすれば最低なのだ。



だが、明るく元気に行こう!

 

 

 

アトポスSP

 

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